MIRAI一覧へ
2025
11 / 17 (月)

2026
01 / 30 (金)

写大ギャラリー 写大ギャラリー50周年記念展Ⅳ 彭瑞麟写真展「我(わたし)は誰か/イ厓係麼人/我是啥人/我是誰」

202511/17(月)~ 202601/30(金)

写大ギャラリー 写大ギャラリー50周年記念展Ⅳ 彭瑞麟写真展「我(わたし)は誰か/イ厓係麼人/我是啥人/我是誰」

  • 美術館・博物館・アート展
四つの言語の狭間で生きた写真家・彭瑞麟の生涯と作品を辿る展覧会

本展のタイトルは日本語、客家語、台湾語、國語(北京語)の順で、同一に「私は誰か」を意味しています。これらの言語のあわいを生きた写真家・彭瑞麟のアイデンティティへの問いかけです。
彭瑞麟(ポン・ルイリン,1904-1984)は日本統治時代の台湾で、客家人(17世紀頃から広東省などから移住した歴史をもつ)として生まれました。1928年、本学(旧・東京寫眞專門学校/現・東京工芸大学)に入学、1931年に卒業(6期生)した、日本で写真を学んだ台湾の第一世代にあたります。
今回、ご遺族のご協力のもと、すべての作品を台湾からお借りすることができました。彭瑞麟の日本初個展となります。また本ギャラリーにおいて、卒業生としてもっとも初期に撮影された作品(1929)展示ともなります。台湾写真史、さらに日本写真史を語る上でも重要な写真家であり、作品群です。彭瑞麟は本学在学中、当時学長であった結城林蔵をはじめ、東京写真研究会で名を馳せた小野隆太郎などの教授陣から最先端の写真技術と表現を熱心に学びました。学友を撮影した肖像写真には、ゴム印画法によるものが多くみられます。
注目すべきは「三色カーボン印画法」によって制作されたカラー作品です。高度な知識と技術を要し、工程は複雑で、作品を完成させるために2ヶ月ほどかかったといわれています。この技法による作品は現在日本ではほとんど確認されておらず、当時の写真技法を紐解くためにも大変貴重なものです。また、ピクトリアリズムなど、その時代の日本写真の潮流、影響が色濃く感じられます。
彭瑞麟の人生は、時代に翻弄され続けました。日本統治時代に生まれた彼は日本国籍を有し、日中戦争に徴用され、広東省へ通訳として従軍しました。台北の繁華街に「アポロ寫眞館」を設立しますが、太平洋戦争末期、空襲を恐れた当局から立ち退きを求められます。さらに戦後、国民党に冤罪により逮捕され、釈放される際に多くの財産を失いました。
それらの出来事を要因のひとつとして、彭瑞麟は写真から離れます。台湾では二・二八事件、白色テロをきっかけに国民党による戒厳令が1987年まで38年間続きますが、そのこととも深く関係しています。そのため台湾では「幻の写真家」あるいは「沈黙の写真家」とも呼ばれ、長く家族の記憶のなかにだけ留まり続けていました。彭瑞麟は生涯にわたり、みずからのアイデンティティについて考えざるをえなかったのではないでしょうか。日本語が厳しく制限され、40歳を過ぎてから國語(北京語)を学び始めた彼は、四つの言語のはざまで、何を想い、何を望んだのでしょうか。どの言語によって思考したのでしょうか。
彭瑞麟は晩年まで、セルフポートレイトを撮ることだけはやめませんでした。何故でしょうか。みずからに向けた「我は誰か」という無言の問いかけに思えてなりません。

※タイトルの「我は誰か/イ厓係麼人/我是啥人/我是誰」、「イ厓」は「亻」(にんべん)に「厓」

【開催概要】
会期:2025年11月17日(月)~2026年1月30日(金)
開館時間:10:00~19:00
休館日:木曜日、日曜日、2025年12月28 日(日)〜2026年1月4日(日)、1月12日(月・祝)、1月16日(金)、1月17日(土)
※ただし11月30日(日)は開館
入場料:無料

写大ギャラリー 写大ギャラリー50周年記念展Ⅳ 彭瑞麟写真展「我(わたし)は誰か/イ厓係麼人/我是啥人/我是誰」

公式サイト

 
カレンダー