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2019
12 / 14 (土)

赤穂浪士討ち入りの日(忠臣蔵の日) 【現在は終了しています】

201912/14(土)

赤穂浪士討ち入りの日(忠臣蔵の日) 【現在は終了しています】

現在でも各地で赤穂浪士を称えるお祭りが行われます。

1702(元禄15)年12月14日(これは旧暦のため、今の暦では1月30日)、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを果たした日になります。

1701(元禄14)年3月、江戸城松之廊下で播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が、幕府の礼式を司る高家筆頭の吉良上野介義央に小刀で切りかかるという事件が起こり、浅野内匠頭には即日切腹、領地没収という厳しい処置がとられました。当時は喧嘩両成敗が基本でしたが、吉良には一切のお咎めがなく、お家断絶なった浅野家の家臣たちは、浪人になってしまいます。

赤穂の浪士たちは主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、大石内蔵助の率いる47人が、本所の堀部安兵衛宅に集まり、そこから吉良邸へ討ち入り、2時間の戦いの末、浪士側は一人の死者を出さずに吉良の首を取り、その首を泉岳寺にある主君の墓前に供え、亡き主君にあだ討ちを報告しました。

現在も47人の義士を称え、その四十七士に扮した一行が、両国の吉良邸跡地から、赤穂浪士がたどった経路を歩き泉岳寺をめざす「義士行列」が行われるなど、賑わいを見せています。

赤穂浪士討ち入りの日(忠臣蔵の日)

 
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